倉俣史朗:詩情と革新が交差する透明なデザイン世界

倉俣史朗(くらまた しろう、1934-1991)は、透明感と浮遊感という独自の美学を追求し、戦後日本のデザイン界に革命をもたらした伝説的なインテリアデザイナーである。アクリル、ガラス、エキスパンドメタルなど、従来の家具デザインでは用いられることのなかった工業素材に詩情を注ぎ込み、機能性と芸術性の狭間で新たな地平を切り拓いた。造花の薔薇をアクリル樹脂に封じ込めた『ミス・ブランチ』、金網材で構成された『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』など、その作品は時代を超えて人々を魅了し続けている。1990年にフランス文化省芸術文化勲章を受章し、国際的な評価を確立。56歳という若さで急逝したが、その作品は今なお世界中の美術館に収蔵され、現代デザイナーに多大な影響を与え続けている。

バイオグラフィー

生い立ちと戦争体験

1934年11月29日、倉俣史朗は東京都本郷にある理化学研究所の社宅に、倉俣吉治・清夫妻の四男として生を受けた。幼少期は戦争の影を避けられず、1943年、9歳の時に東京の家が空襲により被災する。この体験は後年のデザイン哲学に深い影響を与えることとなる。倉俣は後に、空襲時に米軍機が電波妨害のために投下したアルミチップが空中できらめく光景を「綺麗だった」と回想している。この子供の目に映った美しさと恐怖の交錯は、彼の作品に通底する詩的で夢幻的な世界観の原点となった。終戦後、家族は駒込に移り住み、戦後復興の混沌とした時代を過ごす。

デザインへの目覚めと修業時代

1950年、倉俣は東京都立工芸高等学校木材科に入学し、木工技術の基礎を学ぶ。その後1956年、22歳で桑沢デザイン研究所リビングデザイン科を卒業。在学中、イタリアの建築家ジオ・ポンティが創刊した建築・インテリア雑誌『Domus(ドムス)』に出会い、イタリアンデザインの洗練された美学に強く惹かれる。この雑誌に自分の作品が掲載されることが、若き倉俣の目標となった。

卒業後は株式会社三愛の宣伝課に入社。その後、松屋のインテリアデザイン室へ移籍し、商業施設のデザインに携わる。三愛時代には、銀座のランドマークとなる商業施設「三愛ドリームセンター」の店内設計を手がけ、デザイナーとして頭角を現す。この時期の経験は、彼の空間デザインの基礎を形成し、商業空間における独創的なアプローチを育んだ。

独立とデザイナーとしての確立

1965年、31歳で独立し、クラマタデザイン事務所を設立。この決断が倉俣史朗の真の創造活動の幕開けとなった。独立当初、デザインした家具の製品化が思うように進まなかったという経験が、むしろ彼を自由にした。商業的判断から距離を置き、自己資金で試作を重ねることで、商品化を前提としない、純粋な創造活動に専念できる環境を手に入れたのである。この姿勢は「使うことを目的としない家具、ただ結果として家具であるような家具」という独自の哲学を生み出した。

独立後の倉俣は、イッセイ・ミヤケ(三宅一生)のブティック、レストラン、バー、展覧会などのインテリアデザインを手がけながら、オリジナル家具の制作を本格化させた。また、横尾忠則、高松次郎といった現代美術家たちとの協働も積極的に行い、デザインとアートの境界を自在に往来する活動を展開した。

イタリアとの邂逅、そして世界へ

1969年、倉俣は長年の夢であったジオ・ポンティとの面会を果たすべく、思い切った行動に出る。イタリアへ渡り、ポンティに直接自作を見せ、『Domus』誌への掲載を依頼したのである。ポンティは倉俣の作品に感銘を受け、快諾。1970年、ついに念願叶って『Domus』誌に倉俣の作品が掲載され、以後もたびたび取り上げられるようになる。この出来事は、倉俣が国際的デザイナーとしての道を歩み始める重要な転機となった。

1981年、倉俣はイタリアの建築家エットレ・ソットサスから、ポストモダンデザイン運動「メンフィス」への参加を打診される。メンフィスは、機能主義的モダニズムに対する挑戦として、色彩豊かで装飾的、そして遊び心に満ちたデザインを提唱した前衛的集団であった。倉俣は日本人デザイナーとして、また建築家の磯崎新とともにこの運動に参加し、1981年9月のミラノ・サローネで作品を発表。世界のデザイン界に大きな衝撃を与えた。ソットサスは倉俣について「ほかのデザイナーが電報を打っている時に、シローだけが俳句を詠んでいた」と評し、その独自性を讃えた。

円熟と突然の終焉

1980年代後半、倉俣のデザインは円熟の域に達する。1987年にはイタリアの名門家具メーカー、カッペリーニとのコラボレーションで「PROGETTI COMPIUTI」シリーズを発表。1988年には代表作となる『ミス・ブランチ』を創作し、翌1989年のパリでの個展で世界的な称賛を浴びた。同年、東京・新橋に寿司店「きよ友」を設計。この店舗は後に香港のM+美術館に移設・収蔵されることになる。

1990年、フランス政府は倉俣の芸術とデザインへの卓越した貢献を認め、フランス文化省芸術文化勲章を授与。この栄誉は、倉俣が世界的デザイナーとしての地位を確立したことの証であった。しかし、栄光の絶頂にあった1991年2月1日、倉俣史朗は急性心不全により56歳の若さで急逝。あまりにも早すぎる死は、日本のデザイン界に大きな衝撃を与えた。死後、妻の美恵子がクラマタデザイン事務所の代表を継ぎ、作品の維持・管理、資料の整理を行い、倉俣の遺産を守り続けている。

デザインの思想とアプローチ

重力からの解放:透明感と浮遊感の追求

倉俣史朗のデザイン哲学の核心にあるのは、「重力から逃れたい」という願望であった。彼は物体が地に引かれる力に抗い、あたかも空中に浮遊するかのような軽やかさを作品に与えることに腐心した。この思想は、透明なアクリルやガラスという素材選択に直結する。透明な素材は物体の存在感を希薄化し、光を透過させることで、重さを感じさせない視覚効果を生み出す。『ミス・ブランチ』で薔薇の花が宙に浮かんでいるように見えるのも、『硝子の椅子』がまるで結晶のように軽やかに佇むのも、この浮遊への憧憬が形となったものである。

素材との対話:工業素材への詩情の注入

倉俣は、アクリル、ガラス、エキスパンドメタル(金網材)、アルミニウム、FRPなど、当時家具デザインでは異端とされた工業素材を積極的に採用した。しかし彼は、これらの素材を単に機能性や経済性の観点から選んだのではない。むしろ、それぞれの素材が持つ固有の美しさ、光の反射や透過、質感、そして加工の可能性に魅了され、素材と深い対話を重ねた。

特筆すべきは、ガラスとアクリルの加工を支えた東京・西麻布の三保谷硝子店の三代目、三保谷友彦との協働である。1960年代末に出会った三保谷は、倉俣の突飛なアイデアを技術で実現する"親分と子分"のような関係を築いた。『硝子の椅子』の実現も、金属とガラスを接着する「フォトボンド100」という新技術を三保谷が確認したことがきっかけであった。また、倉俣は「スターピース」と呼ばれる発泡素材を開発し、これは現在も広く使用されている。素材との対話は、単なる造形を超えた、化学と美学の融合であった。

機能を超えて:デザインとアートの境界線上で

倉俣は、デザインが単に「使いやすさ」「座りやすさ」「生産しやすさ」といった機能的要件のみに奉仕するものではないと考えた。彼にとってデザインとは、思想や精神性、詩情を表現する手段でもあった。「言葉で語れない部分を形で言おう」という倉俣の言葉は、この姿勢を端的に表している。

しかし同時に、倉俣は家具をアートとして作ることには否定的であった。『ミス・ブランチ』についても、「ぎりぎりのところで座れることにこだわった」と語っている。つまり彼の作品は、機能性とアート性の境界線上に位置し、どちらにも完全には属さない独自の領域を開拓したのである。この両義性こそが、倉俣デザインの最大の魅力であり、革新性でもあった。

記憶・夢・かたち:内面世界の外在化

倉俣は晩年、夢日記をつけ、イメージスケッチを多数残している。これらは彼のデザインが、単なる造形的アイデアではなく、内面の記憶や夢、無意識の世界と深く結びついていたことを示している。『ミス・ブランチ』の名は、テネシー・ウィリアムズの戯曲(エリア・カザン監督の映画版)『欲望という名の電車』の主人公ブランチ・デュボアに由来し、虚飾と儚さをまとった悲劇のヒロインへのオマージュである。造花という「偽物」を選択したこと自体が、この物語性を体現している。

倉俣のデザインは、見る者に一瞬の驚きと、次いで微笑みを与え、しばらくしてから、その機能性や意味の深さに気づかせる、という多層的な体験を提供する。これは、彼の作品が視覚的美しさの背後に、豊かな物語性と哲学を秘めているからに他ならない。

作品の特徴

透明素材による非物質化

倉俣作品の最も顕著な特徴は、透明素材の多用である。アクリル樹脂、ガラス、そして半透明のエキスパンドメタルを駆使することで、物体の存在感を最小限に抑え、視覚的な軽さを実現した。これらの素材は光を透過・反射し、周囲の環境と溶け合いながら、独自の詩的空間を生み出す。

『プラスチックのワゴン』(1968)や『プラスチックの家具 洋服ダンス』(1968)などの初期作品では、無色透明なアクリルで構成された家具が、「使っていない時にも視覚的に美しい」という新たな価値を提示した。これらの作品は、家具が空間を占有するのではなく、空間と調和し、時には消失するかのような存在となることを示した。

重力への挑戦:浮遊する構造

多くの倉俣作品は、重力を感じさせない構造を持つ。『ミス・ブランチ』では薔薇が永遠に浮遊し、『アクリルスツール(羽毛入り)』(1990)では白い羽毛が透明なアクリルの中で宙に漂う。これらは単なる視覚効果ではなく、物質が地に縛られることへの詩的な抵抗である。

『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』においても、本来重厚であるべき金属が、メッシュ構造により軽やかな印象を与え、あたかも月光のように柔らかく繊細な存在感を放つ。タイトル自体がジャズのスタンダード曲から取られており、音楽的なリズムと軽快さを暗示している。

幾何学と非対称性の融合

『変型の家具』シリーズ(1970)は、大きさの異なる引出しが非対称に配置された収納家具である。この作品は、機能的な合理性を追求する従来の家具デザインに対する反逆であり、視覚的な驚きとユーモアを孕んでいる。49個の引出しが格子状に並ぶ『引出しの家具』も、整然とした幾何学構造の中に微妙な変化を持たせることで、動的な視覚体験を生み出す。

『回転キャビネット』(1970)は、20個の引出しが垂直な金属製スタンドの周りを回転する、動く彫刻のような作品である。これは家具でありながらキネティック・アートの要素を持ち、使用者との相互作用を促す。

色彩と素材のコントラスト

倉俣は透明素材を基調としながらも、効果的な色彩使用も行った。『ミス・ブランチ』の紫に染色されたアルミアルマイトの脚部、『テーブル トウキョウ』(1983)のコンクリートに埋め込まれた赤、青、緑のガラス破片、そして『回転キャビネット』の鮮烈な赤いアクリル引出しなど、色彩は透明性と対比され、より強烈な印象を与える。

照明デザインの詩学

倉俣の照明作品も独特である。『ランプ(オバQ)』(1972)は、その愛らしい名称とは裏腹に、洗練されたフォルムを持つ。光源自体がデザインの主題となり、光の質と空間への影響が慎重に考慮されている。これらの照明は、単に空間を照らすだけでなく、詩的な雰囲気を醸成する装置として機能する。

主な代表作とその特徴

ミス・ブランチ(Miss Blanche)(1988)

倉俣史朗の最も有名な作品であり、デザイン史に残る傑作。造花の赤い薔薇が透明なアクリル樹脂の座面と背もたれに封じ込められ、華奢な紫色のアルミアルマイト製の脚部で支えられている。タイトルはテネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』の主人公ブランチ・デュボアに由来し、虚飾に満ちた悲劇のヒロインへのオマージュとなっている。

制作過程は試行錯誤の連続であった。当初、倉俣は電球や人造宝石をアクリルに封入しようと試みたが失敗。生花の薔薇も、熱をもった液体アクリルを流し込むと黒く焦げてしまうため断念。最終的に造花を選択し、その「偽物」性が作品の主題と見事に調和した。薔薇の選定も困難を極めたが、最終的に倉俣が何気なく選んだ安価な造花が最も効果的であったという。

この作品はオフィス家具メーカー、コクヨの協力により、1988年の展覧会「欲望」をテーマにした催事で発表された。手作業による製作のため高額となり、当初1脚200万円で販売。倉俣の死後、享年と同じ56脚で製造を終了したが、後に18脚が追加生産され、合計74脚のみが存在する。2022年のニューヨークのオークションでは51万6600ドル(約7750万円)で落札されるなど、現在も価格が高騰し続けている。世界に1脚しか存在しないアームが波打つプロトタイプは、コクヨが所蔵している。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ヴィトラ・デザインミュージアム、サンフランシスコ近代美術館、パリ装飾美術館など、世界の主要美術館に永久コレクションされている。元サッカー日本代表の中田英寿も所有していることで知られる。

ハウ・ハイ・ザ・ムーン(How High the Moon)(1986)

エキスパンドメタル(スチールの薄板に切れ目を入れて引き伸ばした金網材)を使用した革新的なアームチェア。金属製でありながら透明感のある繊細さと、工業製品としての力強さを併せ持つ稀有な作品である。タイトルは1940年のジャズのスタンダード曲から取られており、音楽的な軽快さと高揚感を暗示している。

エキスパンドメタルという建築資材を家具に用いるという発想自体が革命的であった。このメッシュ構造は、光と影を生み出し、周囲の環境を透過させながら、独自の存在感を主張する。見る角度によって表情を変え、まるで呼吸するかのような有機的な印象を与える。

『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』は、シングル版とダブル版が存在し、現在も生産が続けられている。この作品は、素材の革新性と詩的な美しさの完璧な融合として、倉俣の代表作の一つに数えられる。

硝子の椅子(Glass Chair)(1976)

15ミリ厚の板ガラスを組み合わせただけの、極めてミニマルな椅子。金属フレームを使わず、ガラス同士を特殊な接着剤「フォトボンド100」で接合するという、当時としては画期的な技術が用いられた。この技術は、三保谷硝子店の三保谷友彦が、金属とガラスの接着実験から発展させたものである。

ガラスという壊れやすい素材で椅子を作るという発想は、既成概念への挑戦であり、同時に素材の可能性を極限まで追求する倉俣の姿勢を示している。透明なガラスは光を透過し、空間に溶け込みながらも、結晶のような存在感を放つ。座面に光が反射し、虹色の輝きを生み出す瞬間は、まさに魔法のような美しさである。

この作品は京都国立近代美術館に所蔵されており、倉俣のガラスへの探求の集大成として高く評価されている。

変型の家具(Furniture with Irregular Forms)シリーズ(1970)

大きさの異なる引出しが非対称に配置された収納家具シリーズ。元々は青島商店で製作され、後にイタリアの高級家具メーカー、カッペリーニから「PROGETTI COMPIUTI」(完成したプロジェクト)という名で発売された。このシリーズは、倉俣が世界的に認知されるきっかけとなった重要な作品である。

機能的な合理性を追求する従来の収納家具に対し、倉俣は視覚的な驚きとユーモアを注入した。49個の引出しが格子状に並ぶ『引出しの家具』では、一見整然とした幾何学構造の中に、微妙なサイズの違いが織り込まれ、見る者の目を楽しませる。これは、家具が単なる収納道具ではなく、空間を彩る彫刻的存在であることを示唆している。

現在もカッペリーニから販売されており、アッシュ材黒色塗装のケースに、マットホワイトラッカー仕上げの引出し、つや消しスチール製のノブという洗練された仕様となっている。

回転キャビネット(Revolving Cabinet)(1970)

20個の赤いアクリル製引出しが、垂直な黒い金属製スタンドの周りを回転する、動く彫刻のような作品。引出しを開け閉めするために回転させる行為自体が、使用者との相互作用を生み出し、家具を静的な存在から動的な体験へと変容させる。

この作品は、キネティック・アートの要素を家具デザインに持ち込んだ先駆的な試みであり、倉俣の遊び心と革新性を端的に示している。鮮烈な赤いアクリルは、黒いスタンドとの強烈なコントラストを生み、視覚的なインパクトを与える。

椅子の椅子(Chair in Chair)(1984)

メンフィス時代の代表作の一つ。既存の椅子のフォルムを型取り、それをさらに別の椅子に組み込むという入れ子構造の作品。メタデザインとでも呼ぶべきこの作品は、「椅子とは何か」という本質的な問いを投げかける。

この作品は富山県美術館に所蔵されており、倉俣のコンセプチュアルな側面を示す重要な作品として評価されている。

スターピース(Star Piece)素材開発

倉俣が開発した発泡素材で、現在も家具や雑貨などで広く使用されているが、倉俣が開発者であることはあまり知られていない。この素材は1983年のメンフィスのコレクションで、テーブル『KYOTO』に使用され、話題となった。スターピースの開発は、倉俣が単なるデザイナーではなく、素材開発にも関与する総合的なクリエイターであったことを示している。

その他の重要作品

『シング・シング・シング』(1985)は、ワイヤースチールメッシュを使った最初の椅子であり、後の『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』へとつながる。『トワイライトタイム』(1985)は、『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』と同時期の作品で、同じくエキスパンドメタルを使用している。『アクリルスツール(羽毛入り)』(1990)は、白い羽毛を透明アクリルに封じ込め、まるで雲の上に座るかのような浮遊感を表現した。

インテリアデザインでは、寿司店『きよ友』(1988)が特筆される。杉材の突板、スチール、ファブリック、花崗岩、ガラス、アクリルを組み合わせた空間は、倉俣の空間デザインの集大成であった。2014年、この店舗は香港のM+美術館に移設・収蔵され、倉俣の空間デザインが後世に伝えられることとなった。

功績と業績

国際的評価と受章

倉俣史朗の最も重要な栄誉は、1990年のフランス文化省芸術文化勲章受章である。この勲章は「芸術・文学の領域での創造、もしくはこれらのフランスや世界での普及に傑出した功績のあった人物」に授与されるもので、フランス政府が倉俣の芸術とデザインへの貢献を国際的に認めたことを意味する。シャルル・ド・ゴールによる勲章再編成の際にも存続が認められた、極めて権威ある勲章である。

美術館コレクション

倉俣の作品は、世界の主要美術館に永久コレクションされている。ニューヨーク近代美術館(MoMA)、サンフランシスコ近代美術館、ヴィトラ・デザインミュージアム、パリ装飾美術館、富山県美術館、京都国立近代美術館、大阪中之島美術館、世田谷美術館、埼玉県立近代美術館、石橋財団アーティゾン美術館など、国内外の多くの美術館が倉俣作品を所蔵し、デザイン史における重要性を認めている。

特筆すべきは、香港のM+美術館による寿司店『きよ友』の移設・収蔵である。これは商業空間をまるごと美術館に移設するという稀有な例であり、倉俣のインテリアデザインが単なる商業デザインを超えた文化的価値を持つことを示している。

主要展覧会

生前から倉俣の作品は国内外で展示されてきたが、没後の展覧会も重要である。2011年には21_21 DESIGN SIGHTで『倉俣史朗とエットレ・ソットサス』展が開催され、メンフィス時代の盟友との関係に焦点が当てられた。2023-2024年には、没後30年を記念して『倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙』展が世田谷美術館、富山県美術館、京都国立近代美術館を巡回し、東京では20数年ぶり、京都では25年ぶりの大規模回顧展となった。

これらの展覧会は、倉俣の作品だけでなく、イメージスケッチ、夢日記、愛蔵の書籍やレコードなど、創作の源泉に迫る資料も公開し、倉俣史朗という人物の全体像を提示した。

出版物

倉俣自身の著作として、『倉俣史朗の仕事』(鹿島出版会、1976)、『倉俣史朗―1967-1987』(PARCO出版、1988、共著:磯崎新、エットレ・ソットサス)、『STAR PIECE―倉俣史朗のイメージスケッチ』(TOTO出版、1991)、『未現像の風景:記憶・夢・かたち』(住まいの図書館出版局、1991)などがある。

没後には、『倉俣史朗着想のかたち―4人のクリエイターが語る。』(六耀社、2011、執筆:平野啓一郎、小池一子、深澤直人、鈴木紀慶、伊東豊雄)、『倉俣史朗のデザイン: 夢の形見に』(ミネルヴァ書房、2011、著:川崎和男)、『倉俣史朗入門』(株式会社ADP、2021、編:近藤康夫、五十嵐久枝、桑山秀康、沖健次、他)など、多くの研究書や評論が出版され、倉俣のデザイン思想が後世に伝えられている。

クラマタデザイン事務所の系譜

クラマタデザイン事務所は多くの優秀なデザイナーを育てた。沖健次、桑山秀康、近藤康夫、榎本文夫、五十嵐久枝、韓亜由美など、倉俣から学んだデザイナーたちは独立後も活躍し、倉俣のデザイン哲学を次世代に継承している。

評価と後世への影響

「デザイン界のパンク」:同時代の評価

倉俣史朗は、生前「クラマタショック」という言葉が生まれるほど、日本のデザイン界に衝撃を与えた。彼の作品は、戦後日本デザインの主流であった機能主義的モダニズムとも、日本的情緒を強調する伝統回帰とも異なる、第三の道を示した。欧米の追随に陥らず、日本的形態に頼るでもなく、独自の詩情と美意識で世界を魅了した。

エットレ・ソットサスが「ほかのデザイナーが電報を打っている時に、シローだけが俳句を詠んでいた」と評したように、倉俣のデザインは言語化しがたい詩的な領域に属していた。それは説明的ではなく、直感的に心に響く、純粋な美の体験であった。

日本人デザイナーの国際的活躍の先駆者

現在でこそ日本の建築家やデザイナーは世界で高い評価を得ているが、倉俣は日本人が海外で活躍する先鞭をつけた立役者の一人である。1970年の『Domus』誌掲載、1981年のメンフィスへの参加、1987年のカッペリーニとのコラボレーション、そして1990年のフランス文化省芸術文化勲章受章と、倉俣は着実に国際的キャリアを築き、日本のデザインが世界水準であることを証明した。

デザイン史における位置づけ

デザイン史家の橋本啓子は、倉俣の活動を「アートへの接近」(1961~1970)、「知的操作のデザイン」(1971~1980)、「自由への飛翔」(1981~1991)の三期に区分している。この分類は、倉俣が一貫したスタイルに留まらず、常に進化し続けたデザイナーであったことを示している。

60年代の倉俣は、同時代の美術家たちとの協働を通じてアートとデザインの境界を探求した。70年代には、素材の知的操作と幾何学的構成により、よりコンセプチュアルなデザインを展開。そして80年代のメンフィス参加以降は、色彩と装飾性を取り入れた、より自由で開放的なデザインへと昇華した。

現代デザインへの影響

倉俣の死から30年以上が経過した現在も、その影響は色褪せていない。透明感、浮遊感、素材の革新的使用、デザインとアートの融合といった倉俣の主題は、現代のデザイナーたちに継承されている。特に、素材の可能性を極限まで追求する姿勢は、サステナビリティが求められる現代において、新たな意味を持つ。

また、商業主義から距離を置き、純粋な創造活動を追求した倉俣の姿勢は、大量生産・大量消費時代におけるものづくりへの批判精神としても再評価されている。彼の作品が限定生産であり、高額であることは、作品の希少性と芸術性を保証するものであった。

伝説として生き続ける理由

倉俣史朗が没後も「伝説のデザイナー」として語り継がれる理由は、その作品が時代を超越した普遍的な美しさを持つからである。『ミス・ブランチ』は1988年の発表から35年以上が経過した現在も、初めて見る人に新鮮な驚きを与え続けている。これは、倉俣のデザインが一過性のトレンドではなく、人間の本質的な美的感覚に訴えるものだからである。

また、倉俣の早すぎる死は、彼の作品にある種の神秘性を付与した。「もし生きていたら、どんな作品を創っただろうか」という問いは、永遠に答えのない問いとして、倉俣の作品に豊かな想像の余地を残している。

デザインの可能性の再認識

倉俣史朗のデザインは、デザインが単なる商品開発ではなく、詩であり、哲学であり、人生観の表現であることを示した。彼の作品は、私たちに「美しさとは何か」「機能とは何か」「家具とは何か」という根源的な問いを投げかけ続けている。

倉俣の遺した言葉「言葉で語れない部分を形で言おう」は、デザインの本質を端的に表現している。デザインとは、言語化できない感情や思想を、形態と素材という非言語的手段で表現する行為である。倉俣史朗のデザインに触れることは、この非言語的コミュニケーションの豊かさを体験することに他ならない。

作品一覧

年月 区分 作品名 ブランド/製造
1960年代初期 内装 三愛ドリームセンター 店内設計 三愛
1965年 その他 クラマタデザイン事務所設立 -
1966年 内装 エドワーズ ショールーム -
1966, 1970年 内装 トンボヤ(衣料品店) 静岡
1965, 1969, 1970, 1971, 1989年 内装 タカラ堂(宝飾品店) 静岡
1967年 家具 引出しの家具 -
1967年 時計 七本針の時計 -
1968年 家具 プラスチックのワゴン -
1968年 家具 プラスチックの家具 洋服ダンス -
1970年 家具 変型の家具 Side 1 青島商店 / Cappellini(1987年再発売)
1970年 家具 変型の家具(PROGETTI COMPIUTI)シリーズ 青島商店 / Cappellini(1987年)
1970年 家具 回転キャビネット(Revolving Cabinet) 青島商店 / Cappellini
1970年 家具 ピラミッドの家具 -
1972年 照明 ランプ(オバQ) -
1976年 椅子 硝子の椅子 -
1976年 家具 光の棚 -
1979年 椅子 01チェアー(ダブル) イシマル
1979年 テーブル 01テーブル イシマル
1980年代 内装 イッセイ・ミヤケ ブティック(複数店舗) ISSEY MIYAKE
1982年 椅子 Sofa with Arms Black Edition Cappellini
1983年 テーブル KYOTO(スターピース使用) メンフィス
1983年 テーブル トウキョウ(Tokyo) -
1984年 椅子 椅子の椅子(Chair in Chair) -
1985年 椅子 シング・シング・シング(Sing Sing Sing) -
1985年 椅子 トワイライトタイム(Twilight Time) -
1986年 椅子 ハウ・ハイ・ザ・ムーン(How High the Moon) -
1988年 椅子 ミス・ブランチ(Miss Blanche) コクヨ協力
1988年 内装 寿司店 きよ友 新橋(後に香港M+美術館収蔵)
1988年 内装 COMBLÉ(バー) 静岡
1989年 テーブル アクリルサイドテーブル #2 イシマル
1990年 椅子 アクリルスツール(羽毛入り) -
1990年 内装 ショップ「スパイラル」 -
不明 素材 スターピース(Star Piece)開発 -
不明 家具 Ko-Ko Table Cappellini
不明 家具 Steel Pipe Drink Trolley Cappellini
不明 家具 Bookshelf Cappellini
不明 照明 ヨセフ・ホフマンへのオマージュ Vol. 2 -

Reference

倉俣史朗 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/倉俣史朗
倉俣史朗 - NPO法人建築思考プラットフォーム
https://npo-plat.org/kuramata-shiro.html
今さら聞けない倉俣史朗。芸術的感性で形にしたインテリアデザイン | WELL
https://we-ll.com/blogs/knowledge/designer-shiro-kuramata
倉俣史朗とは?世界的デザイナーの経歴と椅子や照明の代表作品を画像で解説 | インテリアのナンたるか
https://interior-no-nantalca.com/representative-work-of-shiro-kuramatas-chair-and-lighting/
倉俣史朗のデザイン ― 記憶のなかの小宇宙 | 巡回展 | インターネットミュージアム
https://www.museum.or.jp/jyunkai/111404
倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙 | 京都国立近代美術館
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionarchive/2024/459.html
アートとの境界にあるデザイン——倉俣史朗の創造の源泉にふれる【世田谷美術館】 - Sfumart
https://sfumart.com/column/16967/
浮遊するデザイン-倉俣史朗とともに | レポート | インターネットミュージアム
https://www.museum.or.jp/report/332
記憶と夢の結晶に触れる、「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」 | ARTalk
https://girlsartalk.com/feature/33342.html
倉俣史朗の小宇宙へ。11月、久しぶりの個展が〈世田谷美術館〉にて開催。 | カーサ ブルータス
https://casabrutus.com/categories/design/373151
倉俣史朗による傑作、永遠を封じ込めた椅子「ミス・ブランチ」 | ELLE DECOR
https://www.elle.com/jp/decor/decor-interior-design/g45817236/shiro-kuramara-missblanche-chair-23-1130/
デザイナー 倉俣史朗を知ろう! ハウ・ハイ・ザ・ムーンなど - SUMUKOTO.COM
https://sumukoto.com/designer-kuramata-shiro/
倉俣史朗のデザイン――記憶のなかの小宇宙 | 富山県美術館
https://tad-toyama.jp/exhibition-event/17929
倉俣史朗×Cappellini | IL DESIGN (イル デザイン)
https://www.italia-kagu.com/pf/shiro-kuramata-cappellini/
倉俣史朗と静岡 | 静岡市美術館
https://shizubi.jp/eventarchive/9957/