英国家具の伝統を工業化した、イタリア生まれの巨匠
ルシアン・R・エルコラーニ(Lucian R. Ercolani、本名ルチアーノ・ランドルフォ・エルコラーニ、1888-1976)は、英国家具メーカー、アーコール(Ercol)の創業者であり、20世紀英国を代表する家具デザイナー・実業家である。イタリアからの移民として育ち、イングリッシュ・エルム(ニレ材)の蒸気曲木技法を大量生産に応用してウィンザーチェアの量産を実現。伝統的な手工芸と近代的な工業生産を融合させ、機能的で堅牢な家具を誰もが手にできる価格で届けることを生涯の信念とした。
バイオグラフィー
1888年、イタリア中部マルケ州のサンタンジェロ・イン・ヴァドに生まれる。額縁職人だった父アブドン・エルコラーニが先に渡英し、1898年、10歳のエルコラーニも家族とともにロンドン東部に移り住んだ。一家は救世軍の支援を受けて新天地での生活を始める。英語に苦しみ、一時は学校を離れて使い走りの仕事に就いたが、父の勧めもあってショーディッチ工科学院の夜間課程で、図面、デザイン、家具の理論と製作技法を学んだ。1907年、19歳のときに初めての家具作品——螺鈿を象嵌したミュージックキャビネット——を完成させている(この作品はのちに会社が探し当て、現在も保管している)。
1910年、フレデリック・パーカー社(のちのパーカー・ノール)に招かれてハイ・ウィカムへ移り、家具デザイナーとしての本格的なキャリアを歩み始める。やがて地元の工科学校でも教え、後にG-Planを興すゴム家のエドワード(テッド)・ゴムと出会って生涯にわたる親交を結んだ。1910年代を通じてパーカー社やゴム社で経験を積み、1920年、32歳のときに地元の実業家の出資を得て、ハイ・ウィカムに自らの家具工場「ファニチャー・インダストリーズ」を設立する。これが後のアーコールの母体となった(「Ercol」は1928年に商標登録された)。1932年には名門椅子メーカーのウォルター・スカル社を買収して事業を拡大している。
戦時の試練と大量生産への転換
第二次世界大戦中、工場は政府の指示によりテントペグや弾薬箱といった軍需品の製造に転じた。この大量生産の経験が、のちの家具製造の革新につながる重要な転機となる。1944年、英国商務省のユーティリティ家具委員会から10万脚のウィンザーチェアの製造を受注。エルコラーニは、従来の家具職人が敬遠してきたイングリッシュ・エルムに着目し、蒸気曲木の技法を大量生産に応用する工程を開発した。エルムは加熱すると歪みやすい木材だが、自然乾燥と蒸気窯による処理を組み合わせてこの難点を克服。あらかじめ成形した部品を組み立てる方式を確立し、驚異的な生産速度を実現した。
ウィンザーコレクションと戦後の成功
1946年、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催された「ブリテン・キャン・メイク・イット」展に曲木家具を出展して大きな反響を得る。翌1947年には、量産型ウィンザーチェアを中核とするウィンザーコレクションの販売を開始した。戦前の重厚な家具に代わる、簡素で軽やかなアーコールの家具は、戦後英国の中産階級の暮らしに広く浸透していく。1951年には「フェスティバル・オブ・ブリテン」にも出展し、英国の最新デザインと製造技術の象徴として評価された。戦後はルシアン・B(ジュニア)とバリーの二人の息子も加わり、「オールド・マン」と呼ばれた創業者を支えた。
デザインの思想とアプローチ
エルコラーニの家具づくりの根幹には、「正直な家具(honest furniture)」という理念があった。素材の特性を尊重し、構造そのものをデザインの表現とすることで、装飾に頼らない本質的な美を追求している。その思想は、彼が暮らしたチルターン丘陵に伝わる伝統的な家具製作の技と、アメリカ視察で出会ったシェーカー家具の簡素な美学に深く根ざしていた。脚と背もたれが座面に直接差し込まれるという伝統的なウィンザーチェアの構造を出発点に、蒸気曲木、楔接合(ウェッジジョイント)、スピンドルバックといった工芸的な要素を量産の工程へ巧みに取り込んだ。
主素材には、エルム、ビーチ、アッシュといった英国の在来樹種を用い、それぞれの木目の個性を活かした。とりわけエルムの独特な杢目は、アーコール家具のアイデンティティとして広く知られている。伝統的な手仕事と近代的な機械生産を共存させる姿勢は当時としてきわめて先進的で、「量産でありながら一つひとつに手仕事の温もりが宿る」というアーコール独自の価値を確立した。「快適さのためのデザイン、機能のためのデザイン、美しさのためのデザイン」という言葉が、その姿勢を端的に示している。
作品の特徴
エルコラーニの家具は、いくつかの明確なデザイン語彙によって特徴づけられる。座面を貫く脚と楔接合、蒸気曲木によって一本の木材から形づくられる弓形の背もたれ(ボウバック)、旋盤加工されたスピンドル(紡錘形の背棒)が生むリズミカルな反復、そしてエルムやビーチ、アッシュといった英国在来材の木目と質感を活かした素材表現である。
これらの要素は、ウィンザーダイニングチェアからラブシート、スタジオカウチ、バタフライチェアに至るまで、アーコールの製品に通底するデザインのDNAとして機能している。とりわけバタフライチェア(1958年)では成形合板を導入し、無垢材中心の構成から一歩踏み出して、エルム突板を張った曲面合板の座面・背もたれという新たな表現を切り拓いた。一方で脚部はウィンザーの伝統的な構造を踏襲しており、革新と伝統が見事に融合している。
主な代表作とエピソード
ウィンザーチェア(1944年〜、モデル391 / 現行モデル1877)
商務省ユーティリティ家具委員会の契約に応じて開発された、アーコールの原点ともいうべき作品。伝統的なウィンザーチェアの構造を量産向けに再解釈したもので、蒸気で曲げた一本のアッシュ材による弓形の背もたれにスピンドルを配し、鞍型に削り出された座面と、繊細にテーパーのついた脚部が軽やかな佇まいを生む。現在もバッキンガムシャーの工場で、当初の工法を踏襲して製造が続けられている。
ラブシート(1956年、モデル450)
ウィンザーチェアの構造原理を二人掛けのセティーに展開した作品。スピンドルバックの連続が生むリズミカルな背面と、コンパクトな寸法の中に確かな座り心地を実現した設計が評価され、現在もL.エルコラーニコレクションのベストセラーのひとつとなっている。
スタジオカウチ(1956年、モデル355)
ソファとしてもシングルベッドとしても使える多機能家具。戦後英国の限られた住空間に対応する実用的な設計思想が表れた作品で、エルムとビーチによる堅牢なフレームに着脱可能なクッションを組み合わせている。
バタフライチェア(1958年、モデル401)
当時「プリフォームドチェア」と呼ばれた、アーコール史上でも際立つ革新的な作品。エルム突板を張った成形合板による翼のような座面と背もたれを、蒸気で曲げたビーチ材のバーで連結した独創的な構造をもつ。1958年から1963年にかけて生産されたのち一時生産が途絶えたが、2000年頃、英国のファッションデザイナー、マーガレット・ハウエルの働きかけをきっかけに復刻され、現在まで生産が続いている。
クエーカーチェア(1960年頃、モデル365 / 現行モデル1875)
ウィンザーチェアよりも背が高く、一本のアッシュ材から蒸気で曲げた弓形の背もたれが優美なプロファイルを描く。すっきりとした線と柔らかな曲線を併せ持ち、フォーマルにもカジュアルにも対応する汎用性の高いダイニングチェアとして高い人気を保っている。
カウホーンチェア(1960年代、モデル449)
スピンドルバックの上部に、牛の角を思わせる蒸気曲木のフープを配した特徴的なシルエットをもつ椅子。エルム座面とビーチフレームの組み合わせにより、1960年代から70年代にかけて広く生産された。
スタッキングチェアとエバーグリーン・イージーチェア
スタッキングチェア(1956年頃、モデル392)は、教育機関や公共施設での使用を想定した積み重ね可能な椅子で、堅牢な構造と省スペース性を兼ね備える。後年には、デザイナーのマルティーノ・ガンパーとアーコールの協働により、多数のスタッキングチェアを用いたインスタレーションがロンドン・デザイン・フェスティバルで発表され、その普遍的なデザインが改めて注目を集めた。エバーグリーン・イージーチェア(1957年、モデル913)は、ゆったりとした座面と高い背もたれを備えた安楽椅子で、リビングルームの主役となるくつろぎの一脚として設計された。
功績・業績
エルコラーニの功績は、美しい家具を生み出したことにとどまらない。伝統的な木工技術と工業的な大量生産を両立させるという難題に対し、具体的で実践的な解を示し、英国家具産業の近代化に大きく貢献した先駆者だった。
- 1920年:ファニチャー・インダストリーズ(後のアーコール)をハイ・ウィカムに設立。英国有数の家具メーカーへと育て上げた。
- 1944年:商務省ユーティリティ家具委員会の契約のもと、イングリッシュ・エルムの蒸気曲木技法を革新し、10万脚のウィンザーチェアの大量生産を実現。
- 1946年:ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の「ブリテン・キャン・メイク・イット」展に出展。
- 1951年:「フェスティバル・オブ・ブリテン」に出展。家具製造業者組合(後のワーシップフル・カンパニー・オブ・ファニチャー・メイカーズ)の創設メンバーとなる。
- 1957年:同組合のマスターを務める。
- 1964年6月:英国のデザインおよび製造業への貢献により、大英帝国勲章(OBE)を受章。
- 1975年:自伝『A Furniture Maker』を出版。一人のイタリア移民が英国で最も成功した家具メーカーのひとつを築くまでの歩みを記録した。
評価・後世に与えた影響
エルコラーニは、20世紀英国を代表するミッドセンチュリー家具デザイナーの一人として国際的に評価されている。アーコールの家具は英国の戦後デザイン文化の象徴として、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館をはじめとする主要機関に収蔵されている。その影響は、アーコールという企業の持続的な成功を通じて現代にまで受け継がれてきた。1976年の逝去後も家族経営は続き、息子のルシアン・Bを経て、現在は四代目会長のヘンリー・タドロスが経営を率いている。2002年にはバッキンガムシャーのプリンシーズ・リズバラに、ホーデン・チェリー・リー設計による環境配慮型の新工場を建設し、木材廃棄物を用いたバイオマス暖房を導入するなど、持続可能な製造の面でも業界の模範となっている。
2020年のアーコール創立100周年を機に、創業者の遺志を継ぐ新ブランド「L.エルコラーニ」が立ち上げられた。ルシアンの名を冠したこのブランドは、オリジナルズコレクションを中核としつつ、ノーム・アーキテクツ、マシュー・ヒルトン、安積朋子といった国際的なデザイナーとの協働を展開し、「正直な家具づくり」の精神を現代に伝え続けている。英国で戦後に創業した家具メーカーのうち、今なお製造を継続している数少ない一社として、アーコールはその創業者の先見と信念の確かさを証明し続けている。
作品一覧
| 年月 | 区分 | 作品名 | ブランド |
|---|---|---|---|
| 1907年 | キャビネット | Musical Cabinet(螺鈿象嵌ミュージックキャビネット) | 個人制作 |
| 1944年頃 | 椅子 | Utility Windsor Chair(ユーティリティ・ウィンザーチェア) | Ercol |
| 1947年 | 椅子 | Windsor Chair(ウィンザーチェア / モデル391、現行1877) | Ercol |
| 1947年頃 | 椅子 | Windsor Armchair(ウィンザーアームチェア) | Ercol |
| 1950年代 | テーブル | Windsor Coffee Table(ウィンザーコーヒーテーブル) | Ercol |
| 1950年代 | テーブル | Pebble Nest of Tables(ペブルネストテーブル) | Ercol |
| 1950年代 | テーブル | Pebble Coffee Table(ペブルコーヒーテーブル) | Ercol |
| 1950年代 | テーブル | Drop Leaf Table(ドロップリーフテーブル) | Ercol |
| 1950年代 | テーブル | Plank Table(プランクテーブル) | Ercol |
| 1950年代 | 椅子 | All-Purpose Chair(オールパーパスチェア) | Ercol |
| 1950年代 | 椅子 | Easy Chair(イージーチェア / モデル493) | Ercol |
| 1950年代 | 椅子 | Chairmakers Chair(チェアメイカーズチェア) | Ercol |
| 1950年代 | 椅子 | Chairmakers Rocking Chair(チェアメイカーズロッキングチェア) | Ercol |
| 1950年代 | 椅子 | Saddle Stool(サドルスツール) | Ercol |
| 1956年 | ソファ | Loveseat(ラブシート / モデル450) | Ercol |
| 1956年 | ソファ / ベッド | Studio Couch(スタジオカウチ / モデル355) | Ercol |
| 1956年頃 | 椅子 | Stacking Chair(スタッキングチェア / モデル392) | Ercol |
| 1956年頃 | 椅子 | Bar Stool(バースツール / モデル4667) | Ercol |
| 1957年 | 椅子 | Evergreen Easy Chair(エバーグリーン・イージーチェア / モデル913) | Ercol |
| 1958年 | 椅子 | Butterfly Chair(バタフライチェア / モデル401) | Ercol |
| 1960年頃 | 椅子 | Quaker Chair(クエーカーチェア / モデル365、現行1875) | Ercol |
| 1960年頃 | 椅子 | Quaker Rocking Chair(クエーカーロッキングチェア / モデル428) | Ercol |
| 1960年代 | 椅子 | Cowhorn Chair(カウホーンチェア / モデル449) | Ercol |
| 1960年代 | 椅子 | Goldsmith Chair(ゴールドスミスチェア) | Ercol |
| 1960年代 | 椅子 | Candlestick Chair(キャンドルスティックチェア / シャルストンチェア) | Ercol |
| 1960年代 | 椅子 | Model 375 Chair(モデル375チェア) | Ercol |
| 1960年代 | 椅子 | Model 400 Dining Chair(モデル400ダイニングチェア) | Ercol |
| 1960年代 | 椅子 | Grandfather Rocking Chair(グランドファーザーロッキングチェア / モデル478) | Ercol |
| 1960年代 | 椅子 | Windsor High Back Grandfather Armchair(ウィンザー・ハイバック・グランドファーザーアームチェア / モデル478) | Ercol |
| 1962年 | 収納家具 | Windsor Sideboard(ウィンザーサイドボード / モデル467) | Ercol |
| 1960年代 | 収納家具 | Windsor Sideboard(ウィンザーサイドボード / モデル429) | Ercol |
| 1960年代 | 収納家具 | Windsor Sideboard(ウィンザーサイドボード / モデル455) | Ercol |
| 1960年代 | トロリー | Windsor Trolley Bar(ウィンザートロリーバー / モデル505) | Ercol |
| 1960年代 | テーブル | Windsor Dining Table(ウィンザーダイニングテーブル) | Ercol |
| 1970年代 | 椅子 | Latimer Chair(ラティマーチェア / モデル909) | Ercol |
Reference
- Lucian Ercolani - Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Lucian_Ercolani
- From Ercol to Ercolani: a hundred-year journey through design | Salone del Mobile
- https://www.salonemilano.it/en/articles/ercol-ercolani-hundred-year-journey-through-design
- Ercolani, Lucian Randolph (1888-1976) | BIFMO
- https://bifmo.furniturehistorysociety.org/entry/ercolani-lucian-randolph-1888-1976
- Lucian Ercolani | Pamono
- https://www.pamono.com/designers/lucian-ercolani
- Ercol Online Shop | Pamono
- https://www.pamono.com/makers/ercol/
- A Design Classic: All You Need to Know About Ercol Furniture | Vinterior
- https://www.vinterior.co/blog/behind-the-design/the-history-of/design-classic-need-know-ercol-furniture/
- Originals - ercol furniture (L.Ercolani)
- https://www.lercolani.com/collections/living/originals/
- About Us | L.Ercolani
- https://www.lercolani.com/en/about
- The ercol Windsor Chair | ercol Furniture
- https://www.ercol.com/en-gb/about/media/stories/the-ercol-windsor-chair
- ercol Collection | ercol
- https://www.ercol.com/en-gb/collections/ercol-collection
- Lucian R. Ercolani | Viaduct Furniture
- https://www.viaduct.co.uk/designers/lucian-r-ercolani
- Lucian Ercolani | twentytwentyone
- https://www.twentytwentyone.com/collections/designers-lucian-ercolani
- Fans of Ercol's iconic designs will love new sister brand L.Ercolani | ELLE Decoration
- https://www.elledecoration.co.uk/design/a37396445/lercolani-by-ercol/
- L.Ercolani: refined luxury | Cimmermann
- https://cimmermann.uk/blogs/journal/l-ercolani-refined-luxury
- How Well Does Ercol Furniture Sell at Auction? | Potteries Auctions
- https://www.potteriesauctions.com/news/how-well-does-ercol-furniture-sell-at-auction
- Design hero: furniture designer Lucian Ercolani | From Britain with Love
- https://www.frombritainwithlove.com/design-hero-furniture-designer-lucian-ercolani/
- A Great-Grandson Continues the Family Legacy with L. Ercolani | Sixty Six Magazine
- https://sixtysixmag.com/lercolani/