剣持 勇:ジャパニーズ・モダンの創始者
剣持勇(1912-1971)は、戦後日本のデザイン黎明期を牽引した、日本を代表するインテリアデザイナー、プロダクトデザイナーである。渡辺力、柳宗理、長大作らと共に、日本独自のモダンデザインの礎を築き、「ジャパニーズ・モダン」という新たなデザイン潮流を確立した。廉価でありながら高機能なインダストリアルデザインの分野で卓越した手腕を発揮し、家具から日用品まで、日本人の生活空間全体の質的向上に尽力した。代表作である籐のラウンジチェアは、日本の家具として初めてニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久収蔵品に選定され、世界的な評価を獲得した。59歳という短い生涯であったが、その業績は日本デザイン史に燦然と輝き続けている。
生涯と創造的軌跡
初期の形成期:ブルーノ・タウトとの出会い
剣持勇は1912年1月2日、東京府豊多摩郡大久保村(現・東京都)に生まれた。父は元陸軍少佐という家庭環境で育ち、1932年、東京高等工芸学校木材工芸科(現・千葉大学工学部デザイン学科)を卒業。卒業後、商工省(現・経済産業省)工芸指導所に技師として入所し、そこで運命的な出会いを果たす。
1933年、ナチスの迫害を逃れて来日したドイツ人建築家ブルーノ・タウトが工芸指導所の顧問に就任。剣持は直接タウトに師事し、椅子における「規範原型」の研究に従事することとなった。タウトから学んだ素材や構造、造形に対する基本的な考え方は、剣持のデザイン思想の礎となり、生涯にわたる指針となった。この時期に培われた厳格な機能主義への理解と、同時にそれを超えようとする姿勢が、後の「ジャパニーズ・モダン」の展開において重要な役割を果たすこととなる。
戦後の飛躍:アメリカ視察と新たな視座
戦後、剣持は進駐軍住宅のための家具設計と量産指導に携わり、短期間で30点以上の家具を設計するという実務経験を積んだ。これは単なる復興期の作業ではなく、日本における量産家具の品質基準確立への重要な貢献であり、工業化と手仕事の共存を模索する剣持の思想的出発点となった。
1950年には、来日していた世界的彫刻家イサム・ノグチとの運命的な出会いが訪れる。二人の「イサム」は即座に意気投合し、建築家・丹下健三の指揮のもと、イサム・ノグチがスケッチを描き、剣持勇が製図を担当して、日本の伝統素材である竹を用いた「バンブーチェア」を共同制作した。この協働は、日本家具の伝統文化とモダニズムスタイルを統合する新しい日本モダンスタイルの開拓となり、剣持のデザイン哲学における重要な転換点となった。
1952年、剣持は日本人デザイナーとして初めて、経済産業省の命によりアメリカ視察に赴く。この半年間の視察は彼に決定的な影響を与えた。チャールズ&レイ・イームズ夫妻、ジョージ・ネルソン、ミース・ファン・デル・ローエ、マルセル・ブロイヤーといった巨匠たちと直接交流し、アメリカにおけるデザイナーの社会的地位の高さ、モダンデザインの先進性、そして日本製品の独自性の欠如を痛感した。特にイームズとの出会いは、剣持に多大な刺激を与え、デザインに対する新たな視座を獲得する契機となった。
デザイン界のリーダーシップ
帰国後、日本デザイン界の改革を志した剣持は、精力的な活動を展開する。1952年、柳宗理、渡辺力、長大作ら25名の同志とともに、インダストリアルデザインの職能確立と向上を目指す「日本インダストリアルデザイナー協会」の創設に尽力した。1955年には、亀倉雄策、渡辺力らとともに「グッドデザインの啓蒙」運動を推進する「日本デザインコミッティー」の立ち上げに参画し、日本のデザイン文化の底上げに貢献した。
同じく1955年、剣持は産業工芸試験所を辞し、独立して「剣持勇デザイン研究所」を設立。この年にデザインした「スタッキングスツール(202)」は、後に100万脚以上を売り上げる大ヒット商品となり、日本の都市生活における省スペース家具の先駆けとなった。1959年から1965年には東京オリンピック組織委員会デザイン委員、1967年から1971年には札幌冬期オリンピック大会組織委員会デザイン委員、1969年から1971年には日本万博ディスプレー顧問を務めるなど、日本を代表するデザイナーとして国家的プロジェクトにも深く関与した。
最後の大仕事と突然の終焉
剣持のキャリアにおける最後の大仕事は、日本初の超高層ホテル「京王プラザホテル」のインテリアデザインであった。家具、テキスタイル、美術、陶芸、造園など、あらゆる分野の名だたるデザイナーや作家が結集したこのプロジェクトで、剣持は総括顧問として指揮を執り、その統合的なデザインディレクション能力を遺憾なく発揮した。
しかし、剣持は晩年うつ病を患い、心身ともに疲弊していた。1971年6月3日、京王プラザホテルのオープニングパーティーの日、新宿区下落合の事務所社長室にメモ用紙の遺書19通を残し、ガス自殺を遂げた。享年59歳。親友の富岡惣一郎宛の遺書には「友情は変わらない。だが僕の心は変質してしまった。(中略)意志と体が動かない」、妻宛には「わたしが、世界で一番愛した人。君、許されよ」と記されていた。短い生涯ではあったが、戦後日本のデザイン界を牽引し、日本のデザインを世界に発信した功績は、歴史に永遠に刻まれている。
デザインの哲学と思想
ジャパニーズ・モダンの提唱
剣持勇の最も重要な思想的貢献は、「ジャパニーズ・モダン」という概念の提唱にある。1952年のアメリカ視察を通じて、日本製品の独自性の欠如を痛感した剣持は、西洋の模倣ではなく、日本独自の文化や伝統と調和した近代デザインの必要性を強く認識した。これは、日本の伝統素材や伝統技術を活かしながら、現代の生活様式に適合した新しいモダニズムのあり方を模索する試みであった。
イサム・ノグチとの竹を用いた椅子の共同制作は、この思想の具体的実践であり、籐を用いたラウンジチェアシリーズもまた、日本的素材を現代的デザインに昇華させた代表例である。剣持は、西洋のモダニズムを単純に移入するのではなく、日本の風土、気候、素材、技術、美意識との融合を追求し、独自の価値を創造しようとした。この姿勢は、当時の建築家たちが追求していた方向性とも共鳴し、丹下健三らとの協働を生み出す基盤となった。
生活空間全体への総合的アプローチ
剣持のデザイン哲学のもう一つの重要な側面は、単体の製品デザインにとどまらず、生活空間全体の質的向上を目指す「総合的なデザイン」への志向である。家具デザイナーとしてキャリアをスタートさせた剣持だったが、その視野は常にインテリア全体、さらには建築空間との関係性へと広がっていた。
香川県庁舎、国立京都国際会館、京王プラザホテルといった大規模建築プロジェクトにおいて、剣持は建築家と密接に協働し、空間の性格に応じた家具、照明、調度品を総合的にデザインした。これは単なる「装飾」ではなく、空間の機能性と美的質を統合的に高める、現代的な意味での「インテリアデザイン」の先駆的実践であった。京王プラザホテルでの総括顧問としての役割は、この統合的デザインディレクションの集大成と言える。
アノニマス・デザインへの志向
剣持のもう一つの特筆すべき哲学は、「誰がデザインしたかわからない」普遍的なデザインへの志向である。ヤクルト容器のデザインに際して、剣持は「牛乳瓶のように、なかなか良いけれども誰がデザインしたか分からないというものを作りたい」と語った。これは、デザイナーの個性を誇示するのではなく、生活の中に自然に溶け込み、長く愛され続ける「アノニマス・デザイン」の理想を示している。
この哲学は、派手さや奇抜さではなく、機能性、使いやすさ、普遍性を追求する姿勢につながる。スタッキングスツール202が60年以上にわたってロングセラーを続け、ヤクルト容器が「形がヤクルトを表している」という社会認識を確立したのは、この「飽きのこない」デザイン哲学の成功を物語っている。剣持は、デザインの真の成功とは、時代を超えて人々の生活に受け入れられ続けることだと考えていた。
デザイナーの社会的責任
剣持は、デザインが単なる造形活動ではなく、社会に対する責任を伴う職能であると強く認識していた。「デザインだけやってハイ終わりではデザイナーではない」という彼の言葉は、製品の生産性、流通、使用、さらにはその社会的影響まで含めて考える必要性を示唆している。
グッドデザイン運動への参画、デザイン教育への貢献(多摩美術大学教授、共立女子短大講師を歴任)、業界団体の創設と運営など、剣持は常にデザイナーという職能の社会的地位向上と、デザインの啓蒙に尽力した。これは、個人の作家活動を超えた、日本のデザイン文化全体の底上げへの使命感から生まれた活動であった。
作品の特徴と美学
素材の探求と技術革新
剣持勇の作品を特徴づける第一の要素は、素材に対する深い理解と、その可能性を最大限に引き出す技術的探求である。特に籐(ラタン)素材への取り組みは、剣持の素材探求の真髄を示している。
ラウンジチェアシリーズにおいて、剣持は籐を丸芯で編み上げ、人を包み込むようなまろやかな曲面を構成した。籐という素材の可塑性と、剣持の感性が融和して生まれたこの作品は、20世紀を代表するデザインの一つとしてマルセル・ブロイヤーの推薦によりMoMAの永久コレクションに選定された。籐という日本的・東洋的素材を、現代的な造形言語で表現し、世界的評価を獲得したことは、「ジャパニーズ・モダン」の理念の具体的達成であった。
また、秋田木工とのスタッキングスツール202における曲木技術の活用、天童木工との成形合板を用いた椅子シリーズなど、日本の伝統的木工技術と現代的デザインの融合も、剣持作品の重要な特徴である。これらは、技術と美的感覚の高度な統合を示している。
機能性と美の統合
剣持のデザインは、徹底した機能主義に基づきながらも、単なる実用性を超えた美的価値を持つ点で卓越している。スタッキングスツール202は、高度経済成長期の団地などの狭い居住空間において、省スペース化を実現するスタッキング機能を備えながら、シンプルで美しい曲線の造形を実現した。1990年には生産台数が100万脚を超え、2013年度にはグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞している。
ヤクルト容器のデザインにおいても、この統合的思考は明確に現れている。ガラス瓶より軽量でヤクルトレディの負担を軽減し、小さな子供や高齢者でも持ちやすいくびれのある形状は、人間工学的配慮に基づく。同時に、こけしを想起させる独特のフォルムは、日本的な美意識を体現し、「形がヤクルトを表している」という強いアイデンティティを確立した。2010年には立体商標登録が認められ、98%以上の人が容器を見て「ヤクルト」と認識するという調査結果は、デザインの成功を明確に示している。
彫刻的造形美
剣持の家具には、彫刻的な造形美が宿っている。ラウンジチェアの有機的な曲面、スタッキングスツールの優雅な曲線、各種椅子における座面と脚部の関係性など、いずれも三次元的な造形としての美しさを追求している。
これは、ブルーノ・タウトから学んだ「規範原型」の思想と、イサム・ノグチとの協働で得た彫刻的視点が融合した結果であろう。剣持の家具は、実用品でありながら、空間における芸術作品としての存在感を持つ。この彫刻的造形美は、日本の伝統工芸における美意識とも通底しながら、現代的な洗練を獲得している点で独自性を持つ。
普遍性とタイムレス性
剣持作品の最も重要な特徴は、時代を超えた普遍性とタイムレス性である。スタッキングスツール202は1958年の発売以来60年以上、ラウンジチェアは1960年の発表以来60年以上、そしてヤクルト容器は1968年以来50年以上、基本的な形を変えることなく生産・使用され続けている。
これは、一時的な流行に左右されない本質的な美しさと機能性を追求した結果である。剣持が目指した「誰がデザインしたかわからない」普遍的デザインは、派手な装飾や時代特有のスタイルを排し、本質的な形態を追求することで、世代を超えて愛される作品を生み出した。この普遍性こそが、剣持デザインの最大の価値であり、現代においてもなお新鮮さを失わない理由である。
主要代表作品
ラウンジチェア C-3160(1960年)
剣持勇の最も著名な代表作であり、日本デザイン史における記念碑的作品。1960年、ホテルニュージャパン(設計:佐藤武夫)のインテリアを担当した際に、YMK長岡のために設計された籐製のラウンジチェアである。籐を丸芯で編み上げ、人を包み込むようなまろやかな曲面で構成したこの椅子は、籐という素材の可塑性と剣持の感性が融和して生まれた傑作である。
マルセル・ブロイヤーの推薦により、1964年にニューヨーク近代美術館(MoMA)の20世紀デザイン・コレクション(パーマネントコレクション)に選定された。これは日本の家具として初めての快挙であり、剣持の「ジャパニーズ・モダン」の理念が世界的に認められた決定的瞬間であった。20世紀を代表するデザインとして不動の評価を維持し、現在もワイ・エム・ケー長岡によって生産され続け、世界中で愛用されている。
スタッキングスツール 202(1955年)
1955年に剣持勇デザイン研究所設立と同時に設計され、1958年に秋田木工株式会社より販売が開始された。当初は「アパート展」に出品された作品であり、高度経済成長期に突入し、団地などの集合住宅が立ち並び始めた日本の狭い居住空間に対応する、都市生活向けの家具として設計された。
シンプルな美しさと機能性を兼ね備えたこのスツールは、省スペース化を実現するため、狭い範囲でのスタッキングが可能になっている。美しい曲線は曲木技術によるもので、軽量で子供でも簡単に持ち上げることができる。1990年には生産台数が100万脚を超え、2013年度にはグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞。60年以上にわたって連続生産され続ける、日本を代表する名作スツールである。
ヤクルト容器(1968年)
1967年春、ヤクルト本社から容器デザインの依頼を受けた剣持は、当時事務所のチーフデザイナーであった松本哲夫とともに、この国民的飲料の容器デザインに取り組んだ。従来のガラス瓶は重く、配達するヤクルトレディの負担となっていたため、プラスチック製の新容器が求められていた。
剣持が目指したのは、「牛乳瓶のように、誰がデザインしたかわからないが、飽きのこない」普遍的デザインであった。こけしをイメージした独特のくびれのある形状は、小さな子供や高齢者でも持ちやすく、また少しずつ味わいながら飲むための工夫である。生産ラインの制約(従来のベルトコンベアーのガイドに合わせる必要)にも対応し、胴体のくぼみを半円状に削ることで、ライン上で倒れず、減った容量は高さを稼ぐことで補った。
1968年の販売開始以来50年以上、基本形を変えることなく生産され続け、2008年にはグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞。2010年には立体商標登録が認められ(飲料容器としてはコカコーラの瓶に次いで2例目)、98%以上の人が容器を見て「ヤクルト」と認識するという調査結果が、このデザインの圧倒的な成功を証明している。世界的に知られるアノニマスな製品として、剣持のデザイン哲学を完璧に体現した作品である。
バンブーチェア(1950年)
1950年、来日していた世界的彫刻家イサム・ノグチとの協働で生まれた歴史的作品。建築家・丹下健三の指揮のもと、イサム・ノグチがスケッチを描き、剣持勇が製図を担当し、日本の伝統的な素材である竹を使用してデザインされた。
二人の「イサム」は、家具デザインを通して、日本家具の伝統文化とモダニズムスタイルを統合した新しい日本モダンスタイルを開拓した。この協働は、素材・造形・構造の融合への挑戦であり、剣持が日本固有の素材と文化を、いかに現代の生活に根づかせるかという問いに向き合う重要な契機となった。「ジャパニーズ・モダン」という理念の萌芽がここにある。
香川県庁舎インテリア(1958年)
建築家・丹下健三が設計した香川県庁舎東館のインテリアデザインを担当。この庁舎は、1958年に竣工し、戦後に建てられた庁舎建築として初めて、2022年に国の重要文化財に指定された。鉄筋コンクリートで日本の伝統建築を表現した外観だけでなく、内部の空間構成や家具、調度品も評価の対象となった。
県庁ホールの椅子や調度品などを剣持がデザインし、地元香川県出身の画家・猪熊弦一郎の陶板壁画「和敬清寂」、丹下デザインのロビーのベンチなど、建築・インテリア・美術が高度に統合された空間を実現した。剣持の空間全体への総合的デザインアプローチの代表例であり、建築家との協働による公共空間デザインの先駆的実践として重要である。
京王プラザホテル インテリアデザイン(1971年)
剣持のキャリアにおける最後の、そして最大のプロジェクト。日本初の超高層ホテルである京王プラザホテルにおいて、剣持は総括顧問として全体を統括し、家具、テキスタイル、美術、陶芸、造園など、名だたるデザイナーや作家を結集させ、指揮を執った。
このプロジェクトは、単なる家具デザインを超えた、総合的なデザインディレクションの集大成であり、剣持の統合的デザイン能力を遺憾なく発揮した仕事である。残念ながら、1971年6月3日、京王プラザホテルのオープニングパーティーの日に、剣持は自ら命を絶った。この最後の大仕事は、剣持の創造的生涯の終着点であると同時に、彼の心身の限界を示す悲劇的な作品ともなった。
功績と業績
デザイン界への組織的貢献
剣持勇の功績は、個々の作品デザインにとどまらず、日本のデザイン界全体の基盤整備に大きく貢献したことにある。
- 日本インダストリアルデザイナー協会の創設(1952年):柳宗理、渡辺力らとともに、日本人デザイナーとして初めて組織化を推進。インダストリアルデザインという職能の確立と社会的地位向上を目指した。
- 日本デザインコミッティーの設立(1955年):亀倉雄策、渡辺力らとともに「グッドデザインの啓蒙」運動を展開。デザインの社会的価値を広く啓蒙し、日本のデザイン文化の底上げに貢献した。
- 日本室内設計家協会の結成(1956年):インテリアデザインという分野の確立と、専門家集団としての組織化を推進した。
教育への貢献
剣持は実務家としての活動と並行して、デザイン教育にも深く関与した。1959年から1968年まで多摩美術大学教授を務め、共立女子短期大学講師も歴任。次世代のデザイナー育成に尽力し、日本のデザイン教育の質的向上に貢献した。教育現場において、剣持は自らの実践知を理論化し、伝達することで、デザインという職能の学術的基盤の確立にも寄与した。
国際的プロジェクトへの参画
- ブリュッセル万国博覧会 日本館(1958年):展示設計を担当し、日本館は金星(Les Etoiles d'Or)を受賞。国際舞台で日本のデザインを発信した。
- 東京オリンピック組織委員会デザイン委員(1959-1965年):1964年東京オリンピックのデザイン面での成功に貢献した。
- 世界デザイン会議(1960年):パネルディスカッション「世界性」にパネリストとして参加し、国際的なデザイン議論に日本の視点を提供した。
- 札幌冬期オリンピック大会組織委員会デザイン委員(1967-1971年):国際的スポーツイベントのデザイン戦略に関与した。
- 日本万博ディスプレー顧問(1969-1971年):1970年大阪万博のディスプレーデザインに顧問として参画した。
産業界への貢献
剣持は、天童木工、秋田木工、コトブキ、YMK長岡といった日本の家具メーカーとの協働を通じて、日本の家具産業の近代化と国際競争力の向上に大きく貢献した。単にデザインを提供するだけでなく、生産技術の向上、品質管理の改善、マーケティング戦略まで含めた総合的な助言を行い、日本の家具産業全体のレベルアップを牽引した。
また、ヤクルトのような日用品メーカーとの協働は、インダストリアルデザインが特殊な高級品だけでなく、大衆消費財においても重要な価値を創造できることを実証した。これは、デザインという職能の社会的有用性を広く認知させる上で、決定的に重要な貢献であった。
評価と後世への影響
同時代の評価
剣持勇は、生前から日本デザイン界の第一人者として高く評価されていた。1964年のMoMAパーマネントコレクション選定は、国際的な評価の頂点であり、日本デザイナーとして初めての快挙であった。ブルーノ・タウトから直接学び、イームズやネルソンといった世界的巨匠と交流し、イサム・ノグチや丹下健三といった日本を代表する創造者たちと協働した剣持は、国内外のデザイン界から尊敬を集めていた。
しかし、1971年の突然の死は、デザイン界に大きな衝撃を与えた。前川國男、内田祥哉をはじめとする多くの建築家やデザイナーが、剣持勇デザイン研究所の存続を強く希望し、松本哲夫が「剣持デザイン研究所」として事務所を継承することとなった。これは、剣持という個人を超えた、その思想と実践の価値が広く認識されていたことを示している。
歴史的位置づけ
剣持勇は、戦後日本のデザイン黎明期を代表する巨匠の一人として、デザイン史に確固たる地位を占めている。渡辺力、柳宗理、長大作、水之江忠臣らとともに、日本のモダンデザインの基礎を築き、「ジャパニーズ・モダン」という独自の潮流を確立した功績は計り知れない。
特に重要なのは、西洋のモダニズムを単純に模倣するのではなく、日本の伝統的素材や技術、美意識と融合させた独自のデザイン言語を創造したことである。これは、戦後日本が直面した「伝統と近代の統合」という課題に対する、デザインの領域における一つの解答であった。丹下健三が建築において追求したテーマと、剣持が家具・インテリアデザインで追求したテーマは、本質的に共通しており、両者の協働は必然であった。
後続世代への影響
剣持勇の影響は、直接の弟子や協働者にとどまらず、日本のデザイン界全体に及んでいる。松本哲夫が継承した剣持デザイン研究所は、インテリアや家具のデザインに加え、木村一男、手銭正道、福田哲夫らとTDO(トランスポートデザイン機構)のメンバーとして新幹線など鉄道車両の内外装デザインを手がけるなど、剣持の総合的デザインアプローチを発展させている。
より広範には、剣持が提唱した「ジャパニーズ・モダン」の理念は、その後の日本デザイン界において、一つの指針となり続けている。グローバル化が進む現代においても、日本独自の文化や美意識をどのように現代デザインに昇華させるかという課題は、多くのデザイナーが向き合い続けるテーマであり、剣持の実践は重要な参照点となっている。
現代的意義
剣持勇の作品と思想は、現代においても新鮮な意義を持ち続けている。
サステナビリティの観点:スタッキングスツール202が65年以上、ラウンジチェアが60年以上、ヤクルト容器が55年以上生産・使用され続けていることは、真のサステナブルデザインとは何かを示している。使い捨ての消費文化に対するアンチテーゼとして、剣持の「タイムレスなデザイン」の思想は、今日的な環境問題への一つの解答となっている。
ユニバーサルデザインの先駆:ヤクルト容器の「小さな子供や高齢者でも持ちやすい」という配慮は、現代のユニバーサルデザインの概念を先取りしていた。機能性の追求が、自然に包摂性を生み出すという剣持のアプローチは、現代デザインにおいても重要な指針である。
アノニマスデザインの価値:デザイナーの個性を誇示するのではなく、生活に溶け込む普遍的デザインを追求した剣持の姿勢は、現代の過剰なブランド化やデザイナーの自己顕示に対する批判的視点を提供する。真に優れたデザインとは、「誰がデザインしたかわからない」ほど自然でありながら、人々の生活を豊かにするものだという剣持の哲学は、今なお有効である。
記憶の継承
1975年に刊行された『剣持勇の世界』(河出書房新社、全1巻5分冊、限定1000部)は、剣持の全作品と著述を収めた貴重な資料であり、写真家・石元泰博が撮影した美しい写真とともに、剣持の創造世界を後世に伝えている。また、剣持デザイン研究所が保管する図面や資料のデジタル化も進められており、剣持の遺産は確実に保存・継承されている。
剣持勇という一人の天才デザイナーの短くも濃密な生涯は、日本デザイン史の黄金時代を象徴している。その作品は今なお現役で生産・使用され続け、その思想は次世代のデザイナーたちに継承されている。これこそが、真の意味での「タイムレスなデザイン」の証明であり、剣持勇という巨匠が日本と世界に残した、永遠の遺産である。
作品一覧
| 年月 | 区分 | 作品名 | ブランド/プロジェクト |
|---|---|---|---|
| 1950年 | 椅子 | バンブーチェア | イサム・ノグチとの共作、丹下健三監修 |
| 1955年 | 椅子 | スタッキングスツール 202 | 秋田木工(1958年発売開始) |
| 1956年 | インテリア | 大和証券ビル 内装 | 大和証券 |
| 1956年 | インテリア | 住友ベークライト ショールーム 内装 | 住友ベークライト |
| 1958年 | インテリア | 香川県庁舎 インテリアデザイン | 設計:丹下健三 |
| 1958年 | 展示設計 | ブリュッセル万国博覧会 日本館 | 金星(Les Etoiles d'Or)受賞 |
| 1960年 | 椅子 | ラウンジチェア C-3160 | YMK長岡(ホテルニュージャパン向け) |
| 1960年 | 椅子 | ラウンジチェア アームレスチェア C-3150 | YMK長岡 |
| 1960年 | インテリア | ホテルニュージャパン インテリアデザイン | 設計:佐藤武夫 |
| 1960年代 | 椅子 | スツール S-3010 / S-3020 / S-3030 | YMK長岡 |
| 1961年 | 椅子 | チェア S-5007AA / S-5009AA | 天童木工 |
| 1961年 | インテリア | 戸塚カントリークラブ インテリアデザイン | 設計:丹下健三 |
| 1961年 | 椅子・照明 | 各種椅子・照明器具 | 天童木工(規格品化) |
| 1961年 | ソファ | Centro Series 2人掛けソファ T-3160NA-ST | 天童木工 |
| 1963年 | インテリア | 子どもの遊び場(Forum展) | ポール・ヘニングセンに賞賛される |
| 1966年 | インテリア | 国立京都国際会館 インテリアデザイン | 設計:大谷幸夫 |
| 1968年 | プロダクト | ヤクルト容器(プラスチック製) | 株式会社ヤクルト本社 |
| 1968年頃 | プロダクト | ジョア容器 | 株式会社ヤクルト本社 |
| 1971年 | インテリア | 京王プラザホテル インテリアデザイン(総括顧問) | 日本初の超高層ホテル |
| 1961年 | 椅子 | チェア S-3048MP-NT | 天童木工 |
| 年代不詳 | 家具 | コートラック | Poul Kold |
| 年代不詳 | 照明 | 各種照明器具 | 天童木工ほか |
| 1950年代 | 陶器 | エナメル・キッチン用品セット | Ravnholm Factory |
| 1950年代 | 陶器 | ティーサービス | 不明 |
Reference
- 剣持勇 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/剣持勇
- 剣持勇とは?世界で活躍した日本人デザイナーの経歴や代表作品を画像で解説|インテリアのナンたるか
- https://interior-no-nantalca.com/furniture-and-interior-of-japanese-designer-isamu-kenmochi/
- 剣持 勇(けんもち・いさむ)1912~1971 デザイナー | 松戸市
- https://www.city.matsudo.chiba.jp/miryoku/kankoumiryokubunka/rekisi-bunka/dezitarubizyutu_top/search/search_ka/ka005/index.html
- 剣持勇(ケンモチ イサム)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- https://kotobank.jp/word/剣持勇-1073546
- 剣持 勇+松本哲夫|NPO法人建築思考プラットホームPLAT
- https://npo-plat.org/kenmochi-isamu.html
- 丹下健三が手掛けた日本のモダニズム建築「香川県庁舎」は、鉄筋コンクリートで日本の伝統建築を表現! - #casa
- https://hash-casa.com/2024/02/07/kagawaprefecturalgovernmentoffice/
- 国の重要文化財に指定された丹下健三設計〈香川県庁舎旧本館・東館〉はインテリアも評価の対象に - TECTURE MAG
- https://mag.tecture.jp/culture/20220314-54981/
- ヤクルトのくぼみは、なぜ生まれた? | .g Good Design Journal
- https://journal.g-mark.org/posts/hatena_005
- ヤクルト容器はなぜあの形?その意味やデザイナーの哲学とは?
- https://tmbi-joho.com/2020/09/12/yakult-shape/
- 普遍性の高いキッコーマンとヤクルトのボトルデザイン - All About
- https://allabout.co.jp/gm/gc/441123/
- Isamu Kenmochi / 剣持勇 | CASA DE
- https://gallerycasade.com/designer/isamu-kenmochi
- 籐家具・ラタン家具の製造・販売|ワイ・エム・ケー長岡
- https://ymk-pro.co.jp/products/designer/kenmochi/